001 キジル千仏洞 研究者はキジル最古の開削時期を紀元三世紀末まで遡らせるが、直接の紀年を刻む碑記は一つも見つからない。インド・ガンダーラ・イラン高原の仏教図像はシルクロードを経て亀茲に至り、洞窟の壁面に描かれた。玄奘の西行、悟空が梵経を携えて東帰したことは、亀茲を僧侶と経典が往還の途上で出会う一つの拠点とした。千余年の後、『回疆通志』はなお「洞数百あり」と記すが、壁上の五色の諸仏はすでに「糢糊として剥落」していた。 西晋 新疆ウイグル自治区アクス地区バイ県キジル郷 →
002 炳霊寺石窟 炳霊寺石窟は甘粛省臨夏・永靖県の黄河北岸の断崖に刻まれている。チベット語の「炳霊」は十万弥勒仏の在る所を意味する。『水経注』はこの地の断崖に石室が多いと記し、羌人はこれを「唐述窟」(鬼窟)と呼んだ。169窟で「建弘元年」(西秦420年)の墨書題記が発見され、中国石窟における最古の明確な紀年の一つとされる。1968年の劉家峡ダム貯水後は船でしか到達できない。 十六国-西秦 甘粛省臨夏市永靖県 →
003 響堂山石窟 響堂山石窟は河北省邯鄲市峰峰鉱区の鼓山南北両端に分布し、東魏・北斉の皇室と権臣が穿った二群の陵窟である。『資治通鑑』は高歓を北響堂大窟の仏頂のかたわらに密葬したと記し、『続高僧伝』は大窟の像が文宣陵を背負うとする。南響堂は『滏山石窟之碑』が天統元年に比丘慧義と淮陰王高阿那肱の開鑿を伝える。 東魏 中国河北省邯鄲市峰峰鉱区 →